映画 リベリオン ―反逆者― を観た

リベリオン というタイトル、原題ではないということに驚く。
シンプルな原題に対して、意訳気味な邦題が付くのが昭和の頃の流れだったが、
最近は原題そのままに、シンプルに英単語一つだけのタイトルが多いんだなあ。
などと思っていたので、英単語一つだけ、しかし原題と異なる邦題、という形が
珍しく思える。
と言うほど、洋画に対する造詣は無いのだけれど。

吹き替え版にて視聴。


これは、ガン=カタをやるために撮られた作品なんだろうなあ。
なんというか、世界設定にはイマイチ没入できなかった。
ディストピアの描写の造り込みが、足りない気がする。
理想国家の敷地内で流れるアナウンスが説明的過ぎる点と、無感情なはずの雑兵や
パートナーの黒人男性ブラントから、感情がにじみ出てしまっている点が特に気になる。

副総裁も結構、感情を隠せていない感が見受けられたが、終盤で言及が有ったので良い。
感情の排除が平和に繋がると言っても、最高権力者までそうする必要は無いということか。
というかむしろ、想いを持たない者にリーダーは務まらないよ。
そう考えると、副総裁の側近的位置に居るブラントも、感情を認められているのか?

ということで、1時間30分くらいまでは取り立ててわくわくすることも無かった。
それだけに、そこから始まる反撃のシーンのカタルシスったら無かった。
ブラントまでも一撃!この男、もう手がつけられない!!
いや、もうちょっとだけ彼に尺を取って、活躍させて上げてもよかった気がするけど。
棒立ちで殺られてしまった印象だよ、ブラントさん。

あと、刀の帯び方、飾り方が逆なのが気になる。
太刀じゃないんだから、刃側を上にしてください。

そして、彼もまたガン=カタ使いだった、副総裁との戦闘が本作のクライマックス。
これだ、このシーンのために長い1時間半が有ったのだ!と思える最高のアクション。
これまで二挺拳銃の戦闘術として描かれたガン=カタを、互いに一挺づつとし、
銃を持たない方の手で相手の銃を制する、撃たせない戦闘術は白眉。
ここは、アニメ版のトライガン最終話、ヴァッシュとナイヴスが互いの銃のシリンダーを
掴み合うシーンを思い出したなあ。


まどか☆マギカ新編を より楽しむ、という動機で視聴したわけだが、うん、
観ておいて損は無い作品だった。