映画 うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー を観た

まどか☆マギカ新編の感想を探すと、そこそこの頻度で引き合いに
出されるのを目にする本作。
気になっていた所に、RHYMESTER宇多丸の評論にも登場したのを
聞いて、物は試しと観てみる事にした。

と言っても、TUTAYAのネットレンタルで借りて、借りっぱなしだったものを、
昨日、再び劇場で新編を観るにあたって、急いで取り出したものだ。

余談だが、宇多さんのトーク力と知識量に今更ながら驚嘆する。
RHYMESTERって、Dさんが余りにも粋で格好良すぎて、相対的に
宇多さんやDJ JINへの注目度が下がるのだけれど、考えを改めねば。

・作品そのものへの評
さて作品そのものへの評価だが、宇多さんが新編に対して用いた「ドラッグ映画」
という言葉、まさしく本作にこそ当てはまると感じた。
まどか☆マギカ新編は、”整っている”印象が有る。
まずストーリーが有って、不気味で歪な映像はそれを引き立てるために存在している。
対してビューティフル・ドリーマーは、全編が夢の中に有るためか、
ストーリーよりも映像そのものに、重きを置いている様に感じた。
どれ程エキセントリックな映像でも、話の筋が通っていれば、それにすがることで
正気を保てるけれど、ビューティフル・ドリーマーにはそれがない。
だから「ドラッグ映画」という語を、この作品にこそ使いたい。

一点、夢邪鬼が二度ほど哲学の話をするシーンが有って、流暢な関西弁と相まって、
ただ聞き取るだけで頭を使わざるを得ないのが残念。
ここでトリップ状態から一瞬醒めてしまう。

・反省点
どうしても、新編との比較という視点で観てしまうのは良くない。
この先ガン=カタで有名なREBELLIONも観るつもりだが、心をフラットにして挑みたい。

原作漫画を読んだのが小学生の頃だから、登場人物や相関を忘れていた。
おさらいしておけばより楽しめたかも。
結末のやりとりで、原作漫画の最終回を思い出した。もう一度読みたい。

・新編でのオマージュに関して
新編でバスに乗って街の外を目指すシーンが本作を想起させる、という意見が
有ったが、実際観てみるとそうでも無かった。
電車、バス、自家用車と、奇妙にして学校に戻ってくる道程の一つに過ぎず、
バスはむしろ、最も描写の少ないアイテムだったんじゃなかろうか。

こじつけると、新編でバスが水門の様な構造物をくぐるシーン、滝のように排出される
大量の水は、巨亀の側面からの排水と引っ掛けている様に感じる。

劇中に何度か登場した、白い服の幼いラムが偽街の子供達のモチーフ、
というのは、これもこじつけだろうか。

(描写が有る内で)最初に異変に気づいた温泉マークが、誰かに相談する場所が
茶店で、その相手がサクラ先生。
という部分をオマージュ元と取るのは流石に考えすぎか(サクラ→佐倉)。

・その他の雑感
あたるが目覚める事を決断して、夢の世界は終結したけれど、そもそもは
ラムが見ていた夢のはず。
夢から覚める事について、ラムの意志が全く描かれないのは奇妙に感じる。
幼いラムが、目覚めなければと思う心の象徴なのか?
にしても”現在のラム”はこの夢の世界を望んで受け入れているわけだから、
やはりあたるの決断だけで夢から覚めるのは不合理だなあ。

今作が後発の作品に大きく影響を与えたであろうことに、疑念の余地は無い。
あたるが落とされた終わらない悪夢の世界はG・エクスペリエンス・レクイエム、
巨亀目撃後の荒廃した世界は、吉富昭仁の地球の放課後を思い出す。