映画、また行ってきた

まどか☆マギカ 叛逆の物語。
5週目特典としてイラストカードが貰えると聞いて。
フィルムコマもまだ残っていたらしく、得した気分である。

イラストカード、ポストカードサイズかと思っていたら、その倍の大きさだった。
ポストカードホルダーを加工して収納することにする。

フィルムコマは、ヴァイオリン男に電話している志筑仁美ちゃんのアップ。
キャラが正面から映っている時点で十分当たりなんだけどね。
贅沢を言えば、やはりマミさんが欲しかった。
バスの停止ボタンのランプを思えば、なんだって当たりだけどな。


なお、今回の鑑賞から得るべき教訓は、入場前のトイレを怠るなということである。
結構人の入りが良かったので、中座するのも憚られ、終演まで戦い続けるはめに。


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また雑感を長々と。
例により、ネタバレには配慮しない。

・干渉遮断フィールドとかいう便利アイテム
あの装置を魔法少女に適用したの、初めてじゃあないだろう。
キュウべえたちがSGの消滅現象を不思議がるのは、千年以上前からの事だ。
その間にいくつもの実験を、行っていない方がおかしい。
消滅現象そのものを精緻に観察するため、とにかく外から隔離された空間を
準備してみよう、という発想は何もおかしいことではない。

それでも外的要因の遮断が不十分で、消滅現象は発生していたかもしれない。
その場合は、消滅現象の原因は観測できなかっただろう。
この時はそもそも、容易に観測できない外的要因の存在を想定していないのではないか。
消滅現象が、液体の蒸発の様なイメージをされていて、内から外へ出さない事に
重点を置いていたのではないか。

彼らの装置の中で消滅現象が発生し、しかし観測されないのはおかしい。
ということは無い。
新編で彼らは、円環の理を鹿目まどかという一個人として顕在させることで
観測の成功を目論んだ。
逆に言えば、そういう形を取らないと観測できないとも取れる。


やがて、魔法少女たちが消滅現象の事を「円環の理に導かれる」と表現していることを
耳にしたキュウべえたちは、そこから外的要因の存在という発想に至る。
「円環の理」という表現が見滝原界隈だけだとしても、異なる名前で他の地域、
他の時代でも、やがて訪れる救済の存在は語り継がれているはずである。

TVシリーズ最終話、まどかが世界中に飛び散って救済を行うとき、
救われた少女達は明らかに、まどかの動きを目で追っている。
このことから、神まどかの姿を魔法少女だけは視認できると思われる。
まだお迎えに至る前の魔法少女が、仲間のお迎えを目の当たりにしたとき、
将来の希望を他の仲間に語って聴かせたことだろう。

そうして外的要因の存在を確信したキュウべえたちは、”干渉遮断”の部分を
磨き上げ、新編のあの装置はここでほぼ完成されたと考えられる。


キュウべえ達が、過去に干渉遮断フィールドの実験を行っていたとすると、
その結果はどうだっただろう。
魔女が発生するだけである。外部の干渉を遮断しているのだから当然だ。

だがここまでは、彼らの予想の範疇だろう。
SGのシステムはそもそも、彼らが設計・開発した物だ(という前提とする)。
そこに効率的なエネルギーの回収、つまり魔女の発生までを機能に含んで
設計しているからこそ、消滅現象が不思議なのだ。
この実験は単に、干渉遮断フィールドの実用試験と、円環の理の存在の逆説的な
証明までが目的だろう。

TVシリーズ最終話のほむらとの会話では、魔女のシステムについて知らないかの
様に話すキュウべえだが、恣意的に解釈すれば、嘘にならない程度の範囲で
知らないフリをしていたのだ。

さらに憶測となるが、干渉遮断フィールドから解放された魔女も円環の理に救済される。
神の力で因果を超越し、魔女にならなかったことにされる、と言ってもいい。
新編でキュウべえは、ほむらが完全に魔女化した後でもなお、まどかならまだそれを
救えると言っている。前例が有るからこそ言い切れるのではないか。


さてこんな装置を拵えてもなお、結局キュウべえたちは円環の理を感知すらできない。
そこに現れたのがほむらである。
円環の理の事を、過去の誰よりもよく知っている。
どころか、一人の少女として人格を認めているのだ。
明らかなイレギュラーである。これは使える、と思われても仕方がない。

これまでのキュウべえの認識では、円環の理は単なる物理現象だったのではないか。
語り継がれている円環の理伝説に、まどかの姿の存在が含まれていたとしても、
それは謂わば、ブロッケン現象として扱われていた。

この認識が、ほむらからの情報によって刷新される。
円環の理が人格を持つ存在だからこそ、魔女結界に誘導する作戦が成り立つ。
そしてその餌に唯一適任なのは、もちろんほむら本人だ。
無意識的に円環の理の人格部分を誘導出来るのは、その存在を知っているほむら以外
有り得ないのだから。

今回少なくとも「鹿目まどか」を観測できたから、その情報を基に次の機会を
作ることは出来るかもしれないけれど。
逆に言えば、今回「鹿目まどか」を特定できなければ、次は無かった。


唯一にして最大のチャンスで、過たずに最大の仕掛けを施せるキュウべえの賢さ。
対して、無思慮にまどかの事を口にし、ピンチを呼び寄せたほむらの迂闊さ。
これが狡猾な宇宙生物と、人付き合いが苦手な中学二年生の差である。

・お茶会、次へ回すときの言葉
赤い→杏子。 ケーキの方が赤くないが、ラズベリーの色ということで、まあわかる。
べべが好き→マミさん。 わかる。
転がる→暁美さん。 盾が丸いから?わからないではない。
甘い→まどか。 え、何。舐めたの?嗅いだの?それが当のまどかに対して、
        嬉々として発せられているところが怖い。