最近の一気買い

アクマゲームを、既刊全巻購入。

ACMA:GAME(1) (講談社コミックス)

ACMA:GAME(1) (講談社コミックス)

ACMA:GAME(7) (講談社コミックス)

ACMA:GAME(7) (講談社コミックス)

引っ越し時の電車移動での暇つぶしにと、未読だった序盤のマルコ戦だけ確認するつもりで
まずは一巻を購入。そこからあれよあれよと、続刊を揃えてしまった。
ポケットwi-fi電子書籍のコンボは恐ろしい。電車の中で次巻がすぐ買えてしまう。
巻末のおまけ要素も購買意欲の一助になっている気がする。
3巻までは比較的おとなしかったが、4巻以降はキャラ崩しに遠慮が無くなった印象。
宝条院彩香が登場すると、大体面白い。それだけに、7巻のおまけは物足りなかった。


1巻のamazonレビューで”デスノート”を引き合いに出した物が多く見られ、頭を捻る。
全っ然別物じゃない?「悪魔」というキーワードに引っ張られ過ぎに思う。
比べるなら”嘘喰い”だろう。
2つの陣営が、原則的に中立なディーラーの提供する特殊なゲームで勝負し、負けた側は
ディーラーの圧倒的な執行力によって賭けの代償を絶対に取り立てられる。という構図。
よく似ている。

嘘喰い”の場合、ディーラー側(倶楽部賭郎)も人間であり、個々に思惑があるため、
プレイヤー同士のほかにプレイヤー対ディーラー、またディーラー同士の駆け引きが発生する。
これが複雑で長期的な心理戦に繋がり、魅力となっている。

”アクマゲーム”の場合、ディーラーが超自然的存在である。
ゲーム外で出会うことはできず、暴力で脅すことも不可能な、盤外交渉が通用しない存在。
意思の疎通が可能で、人間のような性格も持ち合わせてはいるが、特定のプレイヤーに
肩入れしたり、勝負を誘導することは無い。
ゲームの敗者は意志や行動すら支配され、賭けた物は絶対に取り立てられる。
倶楽部賭郎以上に厳正で、文字通り悪魔的な執行力を持った存在がゲームを仕切る。
お陰で読者もプレイヤーも、負けを踏み倒される心配をする必要が無い。
これが純粋なプレイヤー同士の戦いに焦点を絞ることに繋がり、上手く差別化されている。

なお、賭郎立会人の場合、取り立ての格闘シーンや話術がキャラの魅力を演出してくれる。
「踏み倒される心配」はカタルシスを生むことにつながるので、使いようである。


カイジ”シリーズは、敵側がディーラーを兼ねているので毛色が異なる。
鉄骨渡りで利根川が示した通り、賭け金が本当に支払われるかの不安は常につきまとう。
原則、藤堂兵衛は金に厳格ではあるが、いつか裏切られないとも限らない。
地下チンチロなどは、藤堂が噛んでいないから尚の事。だからこそ、観客を味方につけて
勝ちをうやむやにされる危険を断った締めは素晴らしかった。