二回目行ってきた

まどか☆マギカ 新劇版 叛逆の物語。

昨日の鑑賞中は、終始心拍数が高まっているのを感じていた。
終了後の疲労感は、多分そのせいだろう。
TVシリーズ放映時に視聴していたファンが味わえたのは、こんな感覚なのだろうか。

今回はさすがに、お話の筋を知っているから落ち着いて観ることができた。

色紙はほむらちゃん。
ごめんよ、マミさんか杏・さや が欲しいんだ。
なぜ2/5を2度外すのか、自分。

ダブらなかっただけ良しとしよう。トレードできるお友達もいないし。

以下、感想など。
ネタバレを含むと思うので、一応畳む。

まどか☆マギカぴあ に載っていた総監督のインタビューで
「キャラクター全員をもう一度活躍させたかった」と有る。
その想いが今作の根底ならば、”あいつら”を始末するまでが、
その部分を担っているのだろう。

−−−−
ではその後の衝撃の展開は、一体なんだったのか。

昨日、一回目を観終わった後は、ついこう考えてしまった。
なるほど、こういう展開ならばまだ世界は終わらない。次作へつなぐこともできる。と。
多分、彼女があのまま天に召される事が幸福であるという先入観に固まっていたために、
こんな斜めに見た解釈をしてしまったのだと思う。

しかし、二度目を観て、落ち着いて考え直してみると、これは天に召されるより自然だ、
いかにも彼女らしい選択だとすら言える。
彼女は、誰もが”あの娘”の事を忘れてしまって、それが寂しいことだと言うけれど、
それ以上に”私だけが知っている”優越感を得ていただろう。
その優越感で満たされるのは独占欲。彼女は”あの娘”を独占したかった。
もし”あの娘”を本当に独占できるチャンスが有るとしたら、逃すだろうか。

もちろん、これは”あいつら”の介入があってこそ。
自らの想いを強く再認識する機会を得てしまったことと、”あの娘”のそばに自分以外の
理解者(さやか)の常駐を実感してしまったことが、この決断の後押しとなっただろう。


いや、そもそも”あいつら”の介入自体、彼女が自分で蒔いた種ではないか。
彼らが人類に接触していたのは、少なくとも千数百年以上前。
つまりそれほど昔から、消滅現象を目の当たりにし続けていたはず。
でありながら、やつらは不思議がるばかりでなんの糸口もつかめずにいた。
解明の糸口は存在しないとすら、結論付けていたかもしれない。
そんな中、彼女が繰り返し”あの娘”について語ったために、”あいつら”にヒントを
与えてしまった。

だが、それも仕方が無い。
誰だって大きすぎる秘密を守り通せたりはしない。女子中学生ならなおさらである。
ましてや、話すことで寂しさが和らぎ、優越感まで得られるのだ。

最早、賛も否も無く、これが正統な続編だったと受け入れられよう。

−−−−
今回、メタ的に一番得したのはさやかちゃんだろうな。
格好良すぎる。見せ場だらけ。
個人的に最も素晴らしかったのは変身シーン。彼女らしい活発さ溢れる動きが
ワクワク感を煽ることと言ったら無い。
影の魔女戦でのアレを盛り込み、ポジティブな解釈に変換したのもポイント。

次点は後半の黒縄天譴明王状態。なんというスケール感。これぞエンターテインメント。
その流れで杏子と並び立つシーンもまた良い。ちょっと泣きそうになった。

−−−−
マミさんの戦闘力の高さが公式に証明されたのは、ファンとして非常に喜ばしい。

時間停止能力が無敵過ぎる?ならばそこへ割り込めばいい。
単純な答えだが、その状態を維持しながらの銃撃戦は易しくない。
うっかりリボンを引っ掛けて困るのは、マミさんだけなのだから。
また時間停止状態での銃撃戦で、手元を離れた弾丸がそこら中に静止している。
それらを解き放つスイッチはほむらが握っている以上、うかつに弾道を横切れない。
さらに ほむら側の、現実には有り得ない程の物量。

時間停止を封じたように見えて、意外とまだ優位ではない状況。
だからこそ、マミさんの経験値や勝負勘の証明になったと言える。

−−−−
さて、前売券がもう6枚有るんだよな。
平日に暇が有れば、マミさんの色紙を祈ってもう一度行くかもしれない。